日本に商工会議所が設けられたのは明治11年で、東京は渋沢栄一、大阪は五代友厚、神戸は神田兵右衛門という実業界の第一流の人々が主唱してつくりました。
その陰にはこんな話があったのです。
明治11年といえば、西南戦争の翌年で、日本の夜明けでありました。眠れる子供が目をさましたように、わが国は、文明開化、殖産興業を旗印に国の歩みをはじめました。
そのとき、幕末の開国に際し諸外国との間に結ばれていた不平等条約を改正しろという声が、国の上下に起りはじめ、その折衝には内務卿の伊藤博文、大蔵卿の大隈重信たちが当っていました。 英国公使パークスに伊藤公たちが、「条約改正は国民の世論です」というと、パークスは「それはおかしい。いまあなた方は、条約改正は国民の世論であるといわれたが、国会も商工会議所もない日本が、どこでどのようにして国民の世論を聞く方法があるのか、そのような便利な方法があれば不肖パークス後学のために教えていただきたい」と詰めよりました。さすがの伊藤公たちもこれには返す言葉もありませんでした。 そこで伊藤公たちは、さっそく欧米の商工会議所制度や、また寛政年間に松平忠信が江戸で始めたという町会所の制度などを調べさせてみると、どうしても商工会議所が必要だと考えるようになりました。ですから、実業界の渋沢栄一氏や五代友厚氏らが設立を提唱しますと、伊藤公たちも全面的にこれに協力したのです。 明治18年までに32の商工会議所ができているのですから、商工会議所の誕生をみんな待ち望んでいたことがよくわかります。 |
|
|
|

商工会議所のマークは、英文字
Chamber of Commerce & Industry
の頭文字 CCI を図案化したものです。
Chamber ・・・会議所
Commerce ・・・商 業
Industry ・・・工 業
さらにその形は、JAPANの頭文字Jを含ませ、 おおとり(大鳥)が翼をひろげて大空に雄飛する姿を表しています。
全国各地の商工会議所は、このマークで統一されています。